バンコクレコード屋巡り#1
バンコクに一週間滞在したうち、三日間(厳密に言えば二日半)はレコード屋巡りに費やされた。僕はいわゆるレコードコレクターではないので、指先をホコリで真っ黒にしながら、棚の端から端まで見なければいけない、という強迫観念からは自由であり、あくまでひとりの無知な観光客として、「こんちは」と店の暖簾をくぐり、その雰囲気にしばらく浸ってから(ついでに遠慮がちな態度を装って写真を撮り)、「そんじゃまた」と次の目的地へと向かうだけである。同行者(妻)が、呆れながらも終日付き合ってくれたおかげもあって――たいていの場合、彼女は僕より熱心にレコードを漁り、店員に積極的に話しかけていた――充実したレコ屋巡りを経験することができた。この記事では、圧倒的な交通量と排気ガスに辟易しながらも、開通して間もない地下鉄を乗り継ぎ、またある時には、タクシーや船やトゥクトゥクに揺られながら、訪問したレコード屋を紹介していきたいと思う。時間(と体力)の関係もあって、寄れなかった場所も少なくなく、また「バンコクのレコ屋はとっくに掘りつくされている」という話も聞いたので、決して「ディープな旅」とはいえないが、そのあたりの詰めの甘さは大目に見ていただければ。この旅行、一応ハネムーンだったので。
(チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット)
さて、一軒目は、「รานแผนเสยง Record Shop」(英語の標識はなし)。午前中は、週末限定のエキゾチックな市場、チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットを2時間ばかし散策し、蝿が飛び交う屋台でトムヤムクンとガパオを平らげてから、いざ行かんと地図をにらみながら歩くこと30分。ようやく到着(あまり旅慣れていないので、地図だけでは距離感がつかめず、思った以上に歩かされた)。レコ屋というよりかは、「お金持ちの叔父さんの家」的な店構え。僕らが到着したとき、店の前では店主とその仲間たちと思しき人々が、昼食をとっている最中で、一瞬近寄りがたい雰囲気はあったのだが、こちらに気がつくと、皆笑顔で手を合わせてくれた(素敵な挨拶な仕方だ)。店内は土足厳禁。入り口で靴を脱いでから、ひんやりとした床を心地よく感じながら、すべての部屋をゆっくり回る。入り口からはいって正面には、カウンターがあり(そこでは音ゲーに夢中になっている小学校低学年くらいの少年が店番をしている)、両側には新品レコードがずらりと並んでいる。だいたい洋楽中心で、中には日本のインディーズの盤もちらほらあり、品揃えはよかったのだが、価格設定はかなり高め(いったい誰がマーヴィン・ゲイのベスト盤を、わざわざ日本の1.5~2倍のお金を出して買うのだろう?)。値段はともかくとして、奥の中古レコードはかなり充実していて、丁寧に見ていこうとすれば、数時間はかかりそうな量だ。大きく分けて60~80年代のUS・UKロック、ジャズ、フュージョン系という風に分類されているようだ(棚をじっくり眺めていると、店員がやってきて英語で説明してくれた)。立派なオーディオ装置が揃っていたので、お願いすれば色々とかけてくれるはずだ‥‥‥無人のオーディオルームで、誰にも針を上げてもらえず、内周でぷちぷちというノイズを発しながら、延々と回転し続けるレコードに、「どこでもないところにいる」という心地よい宙吊りの気分にさせられた。ゲームに夢中になるあまり、店番の役割を果たしていない少年を背に、僕らは靴を履いて外に出た。
(รานแผนเสยง Record Shop店内)
次に寄ったのは、バンコクの音楽的ランドマークのひとつといえる、ZudrangMa Records。先に言ってしまえば、このレコード屋が僕らの一番のお気に入りとなり、計3回訪れることになる。そんなZudRangMa Recordsは――僕にモーラムとルクトゥーンという音楽を教えてくれた『旅するタイ・イーサン音楽ディスク・ガイド』(単なるディスク・ガイドの域を超えて充実した内容)からそのまま引用すると――「タイ人DJ、マフト・サイがお洒落な若者が集まるトンローにて経営するレコード・ショップ。タイ・レコードの博物館と呼ぶべき豊富な在庫量であるが値段は恐ろしく高い。一見様お断りの完全プロのDJ、コレクター仕様のお店なのでタイ音楽の知識を身につけてから遊びに行こう」(p.367)。モーラム・ルクトゥーンというタイの伝統的な音楽を再評価するようになったタイの若い世代を中心として成り立っている、レコード屋兼レーベル、ということになるだろうか。バンコクのなかでもお金に余裕のあるヒップな連中が、ヒップなエリアで経営している、ヒップな店と言える。なんて書くと、とんでもなくスノッブな店にように聞こえてしまうかもしれないが、そんなことは一切なく、店員はあくまで親切で、新品のレコードも好きなだけ視聴することができ、ほかに客がいないときにはずっと聴いていても嫌な顔ひとつせずほうっておいてくれる、レイドバックした雰囲気が魅力的なレコード屋である。「タイファンクありますか?」と尋ねた妻に対し(なんてファンキーな質問!)、ぱたぱたという軽快な手さばきで7インチを10枚手渡してくれた。中には4000バーツ(13000円程度)のレコードもあったので、冗談のつもりなのだと思いたい。入り口から入って左手には、壁一面にレコードがディスプレイされており、天井に最も近い棚には、いわゆるコレクターズアイテムがずらっと並んでいる。Angkanang Kunchai「Never Forget Me」やKhwanchit
Siprachan「Nang Khruan Sin 5」のオリジナル盤のLPなどがそこには含まれており、日本円にすると3万円以上のものばかりで、とてもじゃないけど手が届かない(物理的に棚が高くて手が届かないという意味も含めて)。レア盤について付け加えるのであれば、この棚以外には、レジ台も兼ねているショーウインドウのなかにも厳選された7インチが厳かに陳列されていた。そのほかのセレクションは、「亜モノ」と呼ばれる、アジア圏のソウル・ファンク、さらにはアラブ世界の音楽など、他ではあまり目にすることのない盤ばかりで、少しくらくらしてしまった。物欲の悪魔がささやき始めたせいで。結局、「まあせっかくバンコクまで来たのだし」と自分を無理やり説得し、彼らがリリースに携わっている新品のレコードを中心に、割と奮発して買い込んだ。おそらくモーラム目当てで訪れた観光客が買うであろうアイテムばかりなので、無難といえば無難な選択である。まず、Paradise Bangkok Molan
International Bandのスタジオ盤を2枚、モーラムのコンピレーションを2枚で、しめて4500バーツ。音楽の内容についてはまた別のところでまとめる。後日、再び戻ってきたときには、やはりモーラムのMIX CDを二枚、コンピを一枚、前述のKhwanchit Siprachanの再発盤(音圧のしょぼいさがむしろ心地よい)と、これまた再発盤の7インチを二枚購入。店員二人分の日当くらいにはなったので、悪くない客だったと思う。そのおかげかわからないが、店員もニコニコしていた。多分まとまった数の良質のタイの音楽を置いている、バンコク唯一の店だと思うので、音楽好きの方は是非寄ってみてはどうでしょう。文化的にもホットな場所なので、雰囲気だけ味わうのでも十分楽しめる。
(ZudRangMa Records)
(ZudRangMa Records店内)
続いて向かったのが、Bungkumhouse Recordsというお店。Zudrangma Recordsから歩いて20分程度の場所にあり、3階くらいまで英国風の床屋になっている細い建物を、看板だけを頼りに登っていくと、目的の店が現れる。店の前には、椅子とテーブルが並ぶ、テラスのような空間がある。主にインディーロックやジャズを専門にしているようで、ここも例によって値段は高めだが、品揃えには店主のこだわりが感じられる。モーラムやルクトゥーンのような伝統的なタイの音楽は置いていないようだが、代わりに最近のUS/UKロックの影響を受けた、タイのインディーズバンドのCDを積極的に展開しているようで、何枚か聞かせてもらったところ、サウンド的にはもろにブリットロックだったり、ネオアコだったりと、さほど関心は惹かれなかったのだが、そのいたいけな感じにはちくちくと胸の奥で共感する部分もあったりして(ぶつぶつ)、また滅多に来ることもないしなと自分に言い聞かせ、Sonic Youthなどのオルタナティブロックの影響を強く感じるBuddist Holiday(趣味のいいバンド名だと思いませんか?)というバンドのCDや、彼らの所属するPanda
Recordsのコンピを2枚、それから謎のローカルバンドのEPなどを購入。すべて合わせて1000バーツ程度。店主と思しき若い男性は内気ながら、気さくな人物だった。いかにも音楽が好きでやっていますという雰囲気に好感がもてた。インディーロックなんていつまで聞くことになるのやら(帰国してから、Buddist Holidayはわりに気に入って、ちょいちょい聴いている。タイ語で歌っていることをのぞけば、目新しさはないのだが)
4軒目は、8 Musique。残念ながら、この店についてはそれほど書くべきことはない。Bungkumhouse Recordsから通りを挟んだ向かいのショッピングモールの地下1階、その店は洋服屋などの並びにぽつりとある。かなりがらんとした印象で、空間にゆとりがあるというよりかは、空間をもてあまして困っていますという感じ(工夫すれば、象一頭くらい飼えそうである)。新品レコードが中心で、60年代以降のUS・UKの名盤から、2000年代以降のインディロックも有名どこは抑えているので、「ゴリラズの新譜でも買いにいくべ」というときには使えそうだ。入り口付近の壁にかかった地元のインディーロックものの新譜を除けば、バンコク感は皆無なので、ある種のエキゾチズムをもとめて訪れると肩透かしを食らう。もっとも、これは無理解な観光客の無責任な戯言に過ぎないので、きっと地元ではわりと重宝されているお店なのかもしれない。壁にあしらわれたロックの偉人たちのイラストにエイミー・ワインハウスがいたので、エイミーと妻のツーショットを撮ってから、その場所を後にした(続く)。
(8 Musique店内)
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