バンコクレコード屋巡り#2


レコード屋巡り、2日目である。初日から2、3日ほど空いているが、その間僕らはベタな観光地(王宮とか、世界遺産の遺跡とか)を訪れていたのだが、とくにこれといった感慨も湧かず、排気ガスと日差しと人混みに消耗させられ、ぐったりしながら宿に戻っては、ばたんきゅうすることを繰り返していた(今ではこの徒労感ですら、懐かしく感じられるが)。というわけで、性懲りもなくレコード屋巡りである。その土地のことを知りたければ、その土地の本屋とレコード屋にいくのが一番だ、という根拠のない哲学だけを頼りに。

さきに、観光地を巡っている間に立ち寄った店の紹介をしよう。そこにいるだけで頭痛が起こるような、巨大のショッピングモールが立ち並ぶ「シーロム」というエリアの一角にある、例によってUSUKのロック・ポップスのCDを取り扱っているお店だ。ボブ・ディランやビーチ・ボーイズといったクラシックもあるが、90年代以降のものも充実していた。壁一面陳列されているインディーロックについては、大概のものはありそうだ。値段は日本で手に入る輸入盤と変わらない(1枚あたり300~500バーツ程度)。もっともこの時代に、CDだけで経営を維持するのは相当大変なのでは。そんないらぬ心配をする僕らをよそに、店主と思しきお婆さんは随分暇そうにしている。思えば、客層はきっと若いはずなのに、店主がお婆ちゃんというのも光景としては奇妙である(彼女は、ブルーノマーズやマルーン5の新譜にはしゃいだりするのだろうか?)。というわけで、この店だけが観光の途中で寄り道した唯一の場所であった。まあ普通でした。

(店内)

多少の遠出も覚悟して、バンコクの地図にあらかじめ印をつける。店がどこにあって、最寄駅をどこで、交通費はどれくらいかかるといったことを簡単に調べておく。まず向かったのが、Vinyl Die Hardというお店。僕らが滞在していたエリアから電車を乗り継いで40分、そこからタクシーで15分、降ろされたところからは、(やはり)ショッピングモールが見えた。話は若干それるが、バンコクのモールの数は異常である(すべて駅前には必ずあるように思える)。中は、アメリカや日本と寸分違わず、ファッションブランドやフードコート、家電量販店などが大半を占める。まだ消費主義のしっぺ返しを経験したことのないむき出しの無邪気さが、突然降って湧いたかのような物質的豊かさを、余すことなく享受しようという、あけすけな欲望が犇めき合っているようだ。ショッピングモールを中心に栄えた街の多くは、やはりそこを中心に、内側からゆっくりと崩れてしまう気がして、どうにも空虚な思いに襲われる。とか言いながら、ちゃっかりモールのトイレを借りる。

Vinyl Die Hardの記憶といえば、ホコリだ。店名からも予想できるように、わりかし充実した新品レコード(ほとんど洋楽)の棚を除けば、大量の中古レコードが大雑把なジャンル別けで並んでいる。値段は200バーツから高くても500バーツ程度なので、リーズナブルではある。見るでもなしに掘っているそばから、手がホコリで黒く汚れていく。実はものすごく価値のあるものが奥底に眠っていそうだが、そういうものは、とっくの昔に誰かが持っていってしまったのかもしれない。残された大量のレコードだけが発する、かすかなかなしみの気配が空中に舞っているかのようだ。ちなみにここはカフェも兼ねているらしい。気軽にコーヒーを頼める雰囲気ではないのだが。暇そうな店主(ちょっと気難しそうな初老の男性)は僕らが日本から来ていると知ると、80年代の日本の歌謡曲をかけてくれた。しばらくして、もはやお馴染みの「タイファンク・モーラムありますか?」尋ねた妻に対して、店主は「No Molam」と短く返した。「いいものは全て、みんなもっていってしまったよ」とでも言うように。代わりに、タイの歌謡曲に針を落としてくれた。それは、ディスコ調のソウルミュージックで、店主と僕ら以外には誰もいない埃っぽい店内で物悲しく響き渡った。それを聞きながら、タイ音楽の棚をざっと覗いてから、店主にお礼を言った。入った時とは反対側のドアを出てから、僕らは埃で汚れた手を丁寧に洗った。

(Vinyl Die Hards)

次に寄ったのは、「Track addict records」。地図を頼りに路地を進んでいると、地べたに座り込んでいる二人組のうちの一人がこちらに気がついて、店まで案内してくれた(のちにその男がオーナーらしいと気がつく)。雑居ビル的な建物の一室で、ジョン・レノンの大きな肖像画、ディランの引用(”No one is free. Even the birds are chained to the sky”)などがあしらわれた内装がとても洒落た店であった。店番をしている若い女性に例のごとく、モーラムありますか云々と聞くと、冗談っぽいしかめつらを浮かべ、「なんで日本人は皆、モーラム(なんか)に関心をもつの?私の日本人の友だちも同じことモーラムがどうのって言ってたけど」と答えた。モーラムという音楽が、現地では日本で言うところの演歌のような、ほとんどの若者からはいまだに「タクシー運転手の聞いている音楽=ダサい」という認識であることは知識としては知っていたが、それを生の声で聞いたというわけだ。たしかに、外国人に「演歌ありますか?めっちゃクールだよね」なんて言われたら、首をかしげてしまう‥‥‥置いてあるレコードは主にロック・ポップスで、7割が中古で、3割が新品。値段はバンコク市内では平均的(日本に比べるとやや高め)。観光客としてはそれほど興味深い品揃えではないのだが、やはりここも客が好きなだけ自由に視聴できるので、レコードの針を上げ下げしながら、穏やかな昼下がりのひとときを幸福に過ごすことができた。タイのレコードでピンとくるものは、残念ながら一枚もなかったけれども。

(Track addict records店内)

(Track addict records)

次のお店は、ショーピングモールのなかにあった。もともと別の店を探して、さまよっていたら偶然たどり着いた所だ。フロア全体が家電製品(主に高級オーディオ)の販売店に埋め尽くされているなかで、黄ばんだ中古レコードがごっそり積み上がっているような雑多な雰囲気の店があるのは、若干異質であった。在庫の大半が、やはりロックとポップスで、日本の昭和の歌謡曲や、タイの歌謡曲なんかも結構あった。それから目立つのが、レジ枠の7インチであった。ほとんどがアメリカからの安い輸入盤らしく、スリーブに入っている盤からむき出しの盤まで、申し訳程度にジャンル分けされて、1000枚以上あった。これを順番に見ていくのには相当根気がいる。さすがに飽き始めている妻は(そりゃそうだ)、店の前の椅子に座っている。

(p&p audio店内)

同じフロアにある別のレコード屋。こちらは新品と中古の割合は五分五分。古いジャズやロックのレコードから、近年のインディーズバンドの新譜CDまでオールジャンルが揃っている。タイ語で書かれたものもかなりあったので、もしやと思い、モーラムがあるか聞いてみると、店員ふたりがかりで色々と探してくれて(本当に親切な人が多い)、何枚か見つけてくれたが、残念ながらサウンドが新しすぎてはまらなかった。モーラムというのは、一般的にはそれほど需要がないのだということを、ひしひしと実感させられる。


モールを出た時点で、すっかり暗くなっていたので、レコード屋巡りを切り上げることにした。実はもう2軒、覗いてみたかったのだが、ふたりとも疲れていたので、別の機会に譲ることにした(さて、いつになるのやら)。帰り途中で、あらかじめ予約していた音楽バーに寄って、ピザやナチョスをつまみながら、黒人のミュージシャンの素朴な弾き語りに耳を傾けた。椅子に座った途端に疲れがどっと出て、ずいぶん長居してしまったが、比較的空いていたおかげもあって、お店は僕らをほおっておいてくれた。黒人はRedemption Songを優しく爪弾いていた。過去ははるか遠くにあって、明日のことで心配することは何一つなくて、ただ時間だけが緩慢に流れていくようであった。

ちょうど帰国前日から、ホテルの近所で、ホアン・コルネラの展覧会がやっていたので、覗いてみた。Wilcoのファンだったら誰もが知っているこの漫画家(?)の作品は、実物で見ると色彩のコントラストがぐっと迫ってきて強烈である。社会的なタブーや人間のエゴに踏み込んでいるのだが、決して独りよがりでないのは、彼の毒々しくも普遍的なポップセンスのおかげなのだろう。たいていの作品のメッセージ(アイロニー)は明確であるが、たまに(10作品中一作品くらいの割合で)本当にナンセンスな絵がある。それこそ逆立ちしても、何を意味しているのかわからない作品である。コルネラの魅力の大部分はアイロニーの伝達方法の面白さ(巧みさ)にあることは確かだが、ぼおっと眺めていると、メッセージの欠落した(欠落しているように思える)ナンセンス系の作品こそが、彼の本領なのではとすら思えてくる。社会的欺瞞を問う実用的な側面とはもう一つ階層が違うところで、このような作品は機能しているような気がしてならない。これが、芸術に昇華されている、ということだろうか。なんて考えていると、回廊のスタッフがつかつかとやってきて訛りの強い英語で話しかけてきた。理解できなかったので聞き返すと、脇に抱えていたファイルを開いて、僕らに見せてきた。それは絵の価格表であった。

(千手観音)


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